未来を創るたまの企業

2026.01.01
三鷹市

自然が教科書─三鷹の環境が育んだ
観察力で世界に挑む精密メーカー

三鷹光器株式会社

[2025年11月 取材]

 精密機器メーカーとして1966(昭和41)年に創業した三鷹光器株式会社は、天体望遠鏡の開発を皮切りに医療用顕微鏡、半導体検査装置など、事業領域を広げてきた。その原点には、三鷹市にある国立天文台に隣接する環境で育ち、光や星の動きに日常的に触れながら、「なぜ」「どうして」と探究心を育んだ現・代表取締役の幼少期の体験があるという。身の回りの自然を丁寧に観察して本質を捉える姿勢が、のちに同社の技術思想として受け継がれ、精密な設計力や創造性の源泉となっている。

 医療機器分野では、現場の医師の声に応じた独自設計で高い評価を獲得している同社。その精度と設計思想はドイツの高級カメラ・光学機器メーカーであるライカの精密部品や、厳格な基準で知られるNASA関連プロジェクト向けの部材にも採用されてきた。同社の技術が世界的ブランドから認められている事実は、地域の職人技と自社の技術力を融合させた独自のものづくりの強さを物語っている。

 社会にとって、現場にとって必要な技術とは何かを問い続け、その答えを自然観察から導きながら事業を進化させてきた三鷹光器。技術を通じて社会の課題を解決する——同社が貫いてきた理念と挑戦の歩みを取材した。

 


事業の特徴

 

国立天文台を庭として育まれた感性

三鷹光器の成り立ちには創業地・三鷹の環境が大きく影響している。本社は現在、国立天文台のすぐ近くにあるが、代表取締役の中村勝重さんの父は、1924年(大正13)年に麻布から三鷹村(現・三鷹市)へ移転した国立天文台(旧東京大学東京天文台)の、大型望遠鏡の組み立てを担った人物であった。当時の三鷹市は豊かな自然が広がり、夜になれば周囲は漆黒の闇に包まれ多くの星が瞬くのどかな場所。そのような自然環境で、兄姉たちと共に日々を過ごしていた中村さんは「天文台の望遠鏡を覗いた記憶は実はあまりなく、望遠鏡の横を通り抜けながら沢や畑で遊んでいました。自然そのものが私の教科書でした」と幼少期を振り返る。天文台の研究者たちと気軽に交流し、太陽望遠鏡や観測設備を見かけるたびに「なぜ」「どうして」を問い続けた。光の仕組みや星が輝く理由、生き物がどう動くのか――自然の中から答えのない問いを発見し続ける時間が、のちの同社の創造性の根幹となった。

三鷹市野崎にある本社
三鷹市野崎にある本社

 

医療顕微鏡で世界に挑むまで

現在売上の7割を占める医療機器事業は、医師からの要望に応えて改良を重ねる“現場主義”の積み上げによって拡大してきた。医師が求める視野や操作感、微細な調整といった要求を形にするには、技術力だけでなく、ユーザーの背景を理解する姿勢が不可欠である。なかでも脳神経外科手術顕微鏡は、長年にわたる改良の積み重ねが結実し、現在では高倍率で安定した操作性をもつとして国内外から高い評価を受ける。手術用顕微鏡システムのMM51やMM77では、倍率を維持しつつ明るく広い視野を確保する光学設計を実現。形成外科・整形外科の神経・血管縫合、脳神経外科、眼科、耳鼻科、泌尿器科など、非常に小さな組織(血管、神経、繊細な構造)を扱うマイクロサージャリー(微小外科手術)を中心にあらゆる手術で使われている。たとえばMM77の開発では、対物レンズの口径を従来の2倍に、集光面積を4倍にすることで、高倍率時でも「術野が暗くなる」という一般的な顕微鏡の弱点を克服した。

MM51手術顕微鏡(左)とMM77手術顕微鏡(右)

 

自然から学んだ経験が生んだ技術思想

製品づくりの根底にあるのは、自然を観察して本質をつかむ姿勢である。中村さんは「大切にしているのは技術よりも観察、考えること」と語る。実際、皮膚がんメラノーマの光への反応など、医療分野においても光の性質と生命現象をつなぐ思考が発想の源泉となっている。現在進めている協同研究の例として、東京農工大学との連携によるトマトの水耕栽培研究があるが、ここでは流れる水の中で根が伸びる方向とその理由を観察し、養分を水に溶かすという新たな発想へとつなげている。現在のトマト栽培で主流である、苗を土に植えて茎を垂直に上に伸ばす方法とは大きく異なるこの方法によって、一本の苗から驚くほど多くの実が収穫できるという。この“自然から導く答え”という姿勢は、同社の事業である望遠鏡から医療機器にも一貫している。同社の手術用顕微鏡がドイツ製を超えると評される背景には、“設計は現場にあり”という信念に基づいた徹底した観察眼、そして現場の声に即応する柔軟性がある。

東京農工大学との協同研究で進行しているトマトの水耕栽培

 

“人”を中心に据える採用と育成

人材育成においても同社は独特である。採用試験では3つのテストがあり、紙飛行機キットの組み立てや裸電球のスケッチなども含まれるという。そこでは学歴よりも「素直さ」「観察力」「継続力」が重視され、技術力よりも“向き合い方”を問う点が特徴だ。また、入社後は顕微鏡や試験装置などに対し、設計から部品加工・組立(製造)、さらに完成後の評価・調整までを原則、一人で担当する。なぜこのような一貫担当体制を取るかというと、同社の製品は受注生産が多く、量産ラインではなくオーダーメイドの設計思想を持っているため。また、この方法は一人の社員にとって、小規模ながら多様な領域(光学・機械・電気・制御ソフトなど)を横断できるという長所にもなりうる。たとえば「機械加工→組立→電気配線→制御回路・ソフトウェア開発→最終評価(動作確認)」といった流れを部署の枠にとらわれずに経験できることは、技術者の“幅広さと深さ”を育む土壌となり、全体像を理解しながら改善の視点を養える。中村さんが「失敗は経験であり、失敗させなければ成長はない」と語る通り、試行錯誤を許容する文化が同社の技術力を支えている。

手術用顕微鏡を無重力感覚で保持するバランシングスタンド
海外向けスタンド
組立調整の様子

 

技術を広げ、社会に還元する取り組み

大学での講演活動だけでなく、学生との交流イベントなどを積極的に行い、今後は若い世代への種まきにも力を入れていきたいという同社。そこで語るのは、自然から学ぶ力、失敗を恐れない姿勢、そして「わからないと言える誠実さ」である。これは技術教育だけでなく、創造性を育む根本の姿勢であり、多くの教育機関で支持を得ている。直近では2025(令和7)年12月には八王子の東京多摩未来メッセで行われた、日本工学院八王子専門学校の学生との交流イベントに参加した。

交流イベントには日本工学院八王子専門学校の1年生が100名以上参加
社員から説明を受け、手術顕微鏡を覗くとその機能性に驚いていた

 

進化を続ける精密メーカーとしての未来

創業からまもなく60年。天体望遠鏡から医療顕微鏡、半導体検査装置、太陽熱事業、農業研究と、柔軟な進化を遂げてきた同社。共通するのは自然を見つめる姿勢と、現場の声をくみ取る実直なものづくりである。“観察から生まれる技術”という独自の価値観は、研究機関向け観測機器で培われた精度と信頼性を基盤に、医療分野においても確かな存在感を放つ。今後も三鷹市を拠点に、自然科学に根ざした発想と機動力ある開発体制を武器にして、同社は新たな領域へ挑戦を続けていくだろう。

 

お話を伺った人

 

三鷹光器株式会社
代表取締役社長
中村 勝重さん

 

企業概要

HP https://www.mitakakohki.co.jp
代表者名 中村 勝重
資本金 10,000,000円
創業 1966年5月
社員数 117名

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